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きつねつき

ストーカー犯罪のニュースがこのごろ目立ちますが

 
執着(しゅうじゃく)というのはまったく浅ましく、仏法でもいかに執着をなくすかがひとつのテーマでもあります。
 
ただ、これは何かの掛け違えのエスカレートしたものであって、感情としては誰にでもあり得るものなのではないかと思ったりもします。弁護する気にはなりませんが。
 
元交際相手を付け回る、くどく復縁をせまる、そこまででなくとも、好きな人と縁がなく別れて、それでも想いが断ち切れずクヨクヨしたり、果てになんとなくその人を恨む気持ちにもなったりする、そんな体験をお持ちの人はいるのではないかしら…。
 
 だからなんだと言われると困るのですが、世の中で平和的に解釈されている現象ーーー愛し愛され、家庭を築き、子々孫々まで栄えているということと、世の中で眉をひそめられる事件ーーー交際するも別れ、しかし思い切れずやっかいなことを引き起こす………これには、何かの掛け違えとか根本的な何かの問題点を抱えていたにもせよ、根っこには、これらの行動を奮い起こしている同じエネルギーが働いているのではないかと思うわけです。
 
だから仏教では「愛」も執着として解釈されます。仏教では愛よりも慈悲が大切なのです。
 
古い小説ですが、岡本綺堂センセイの「玉藻の前」を読みました。
 
「たまものまえ」、妖怪好き、あるいは歴史好きな方ならおなじみですね、九尾の狐です。
 この絶世の美女に狂わされ、宮中は混乱し、都は荒れるわけですが、1000年前から今でも、人は恋に翻弄されているわけです。
またこの綺堂センセイのお書きになる玉藻が魅力的なんだなこれ!!
 
千枝太郎が妖魔を退けつつも恋心を思い切れないさまは、愚かでもあり、悲しくもあります。
 
人が執着しているとき、それが「欲」であることに気づけないと、相手を思いやる「慈悲」が失われてしまう。千枝太郎の最後には、なんとなく、悲しい慈悲が見え隠れします…。
 
千枝太郎は地獄に堕ちたか、極楽に行けたか……。
 
常々、狐に憑かれないように気をつけていたいものです。
いまどきは人に憑かれることの方が多いようですが。
 

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