最近のトラックバック

« 2015年10月 | トップページ | 2016年3月 »

さよならの向こう側

大切な先輩が他界してしまいました。

 
雑貨団の名誉団員でもあるBENさんです(日本人)。
 
僕は高校時代からお付き合いさせていただき、なんだかんだで20年以上の友人となりました。
 
面白いことが好きで、行動力があって、いつもポジティブで。
 
雑貨団がコンセプトのひとつとしている「ないものはつくる」というのは、BENさんの言葉を拝借したものです。
 
廃車寸前のポルシェを、ひたすら「磨く」ことを中心に修理して、常用レベルまで復活させたり、長野から急な思いつきで喜多方ラーメンを食べるためだけに福島にでかけたり。
 
 
積み上げた知性も感性も、その人にしかないもので、その人が全部持っている。
 
だけど、その人が遠くに去っていくとき、その知性と感性はどこにいくんだろう?
 
僕は未だにBENさんのいない世界というのがよくわかってなくて、日常の中でふと「あ、これはBENさんに今度聞いてみよう」なんて無防備に思いついたりすることがあります。
 
だけど、たぶん、僕の人生ではもうBENさんに会うことができない。
 
できない。
 
ほんの少しつまらない世界になってしまった僕の人生をどうしてくれるんだ。
 
宇宙規模では、人間の人生など、長くても短くてもたいして変わるものではないけれど、僕の宇宙は僕にしか認識できない宇宙なのだから、その宇宙の中にBENさんがいないというのは非常に困るわけです。
 
 
非常に困るわけです。

遅くなりましたが

私事ですが、2015年の11月19日に結婚いたしました。

 
 
僕は以前より結婚願望のないことをことあるごとに周りに言ってきました。
 
相手には悪いように聞こえるかもしれませんが、今でも結婚願望というのが強くあるわけではありません。
 
その根底には、「愛情」という考えと「慈悲」という考えの違いがあります。
 
現代の結婚というものには、多くの人が考えるように、「愛情」というエネルギーが働いているように思います。
他人様の結婚式、披露宴に出席しても、司会者の口にする「愛」という言葉の多いこと多いこと。
 
でも、愛という言葉はポジティブな意味ばかりではありません。
 
仏教的には「愛」は「執着(しゅうじゃく)」のひとつとして考えられています。
つまり「強いこだわり」です。
 
以前自宅に訪問してきた、聖書の勉強をなさる方々がおっしゃっていました。
「愛があれば、世界の問題がすべて解決できると思いませんか?」
でも僕は疑問があって聞いてみました。
「だけど例えば災害のとき、自分の子供を守るために、よその子供を押しのけて生き残る、そういうのは愛があるせいで起きる問題じゃないですか?」
 
その人は書物からその答えを見つけてくれなかったし、僕にもまだわからない問題です。
 
一方で慈悲とは、あらゆる人に与えるべき行い、感情であると思います。
愛よりも範囲が広い。
結婚という、ある意味特定範囲の幸福よりも価値が高いと考えてしまうわけです。
そして私は長いこと「慈悲」を持とう、行いたいと考えてきました。
 
 
僕は結婚というシステムの揚げ足が取りたいわけではありません。
 
「愛というのはなんなのか」
 
まるでSF映画のお約束の、感情がうまれはじめのロボットのようですが、真剣な問題です。
 
パートナーをとても大切に考えておりますし、これからも大切にできるように努力していきますが、それが他の人間と比べてどれくらい特別に大切にせねばならないかは、難しいことです。
 
どんな人にだって親切にはしたいしするべきです。
 
その問題と答えは結婚生活にあるのでしょう。
もしかしたらパートナーはもう知っているのかもしれません。
 
最後には慈悲の修行に到達できるように、連続する結婚生活をがんばっていきたいと思います。
 

« 2015年10月 | トップページ | 2016年3月 »

2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ